弘田三枝子ひろたみえこ
1947年2月5日生まれ東京都 出身
2020年07月21日死去
弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:竹永 三枝子〈たけなが みえこ〉、1947年〈昭和22年〉2月5日 - 2020年〈令和2年〉7月21日)は、日本のポップス、歌謡歌手。
愛称は「MICO(ミコ)」、「(パンチの)ミコちゃん」。
歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製R&B娘とも評された。
後のミュージシャン(都はるみ、大瀧詠一、山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐ら)に多大な影響を与えた。
経歴=
世田谷区立三宿小学校の生徒だった頃から劇団こまどりに入り、幼稚園の頃FENのラジオに魅せられて歌手になることを決意。
母の協力のもと、7歳の頃から自らの意思でティーブ・釜萢の「日本ジャズ学校」に週1回バスで通い、英語の発音の基礎からスパルタ教育を受け、8歳から進駐軍のキャンプで歌っていたともいい、駒沢学園女子中学校の1年生の頃からは本格的に進駐軍キャンプでポップスやジャズなどを歌っていた。
曲を提供されて自分の世界にもっていくために、家での練習(本人曰く「小稽古」)の際、歌詞を理解してメロディーを体に入れてから(本人曰く「儀式」)、自ら考案した記号を譜面に記載したうえで、自ら歌唱したテープを確認し歌をものにしたうえで収録に臨んだという。
この儀式は、レコードデビューからラストシングル収録まで続けられたという。
ダイナマイト娘=
1961年に東芝音楽工業から、草野浩二担当のもと、「和製ブレン ……