なかにし礼なかにしれい
(作詞家)
1938年9月2日生まれ満州 出身
2020年12月23日死去
なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)、1938年〈昭和13年〉9月2日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の小説家、作詞家。
来歴=
1938年(昭和13年)9月2日、満洲国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)に生まれる。
元は北海道小樽市に在住していた両親は、渡満して酒造業で成功を収めていた。
終戦後、満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。
実兄・正一は立教大から学徒出陣として陸軍に入隊し、特別操縦見習士官として特攻隊に配属されたが終戦となった。
8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校時代は東京と青森(青森市立古川小学校)で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く。
青森市在住時には入会していた読売ジャイアンツのファンクラブの誘いで青森市営野球場での試合のバットボーイを担当したが、その試合は藤本英雄が日本初の完全試合を達成することとなった。
東京都立九段高等学校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトをし半年ほどアテネフランセに通う。
シャンソンの訳詩を手掛け、大学の入学資金も稼ぎ、大学在学中にヒットメーカーになる。
一浪して1958年に立教大学文学部英文科に入学する。
中退と再入学と転科を経て、1965年に立教大学文学部仏文科を卒業する(立教仏文の第1期生)。
大学在学中、1963年に最初の妻と結婚する。