小林旭こばやしあきら
1938年11月3日生まれ(86歳)東京都 出身
小林 旭(こばやし あきら、1938年〈昭和13年〉11月3日 - )は、日本の俳優、歌手。
本名は同じ。
身長180cm、体重98kg、血液型はAB型。
特技は柔道(五段)、ゴルフ。
愛称は「マイトガイ」。
「銀幕のスター」の最後の世代。
来歴・人物=
東京府東京市世田谷区出身。
東宝、新東宝、文化映画の照明技師だった父と、小唄・端唄の師匠だった母との間に生まれる。
4歳の時に劇団東童に入り、1944年(昭和19年)、小学校1年生で三越劇場の劇団公演『青い鳥』で初舞台を踏む。
1954年(昭和29年)、目黒高等学校在学中に東童の子供たちを日活へ引率した際、プロデューサーの茂木了次に声をかけられ日活のエキストラとなる。
1955年(昭和30年)に高校卒業、明治大学文学部に進むも中退。
エキストラをしながら1956年(昭和31年)の第3期日活ニューフェイスに合格し、同年10月封切りの川島雄三監督映画『飢える魂』で正式にデビューした。
1957年、『青春の冒険』で初主演を務めた。
1958年(昭和33年)、石原裕次郎と共演した『錆びたナイフ』での演技が評価され、同年の『絶唱』は初期の代表作となった。
1959年(昭和34年)、映画『南国土佐を後にして』がヒットし、石原裕次郎と並ぶ日活を代表するスターとなる。
以降、映画『渡り鳥シリーズ』、『旋風児シリーズ』、『流れ者シリーズ』などに出演、石原裕次郎らとともに日活の黄金時代を築く。
1958年(昭和33年)、日本コロムビアよ ……