和田弘とマヒナスターズわだひろしとまひなすたーず
和田弘とマヒナスターズ(わだひろしとマヒナスターズ、英: Hiroshi Wada & Mahina Stars もしくは Wada Hiroshi & His Mahina Stars)は、スチールギター奏者の和田弘をリーダーとする日本の音楽グループ。
ハワイアン、ムード歌謡の第一人者として知られた。
略称並びに通称であるマヒナはハワイ語で「月」を意味する。
来歴=
山口銀次、和田弘、三島敏夫らが「バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ」(以下アロハ)を退団し、1953年(昭和28年)にハワイアンバンド「山口銀次とマヒナスターズ」を結成。
翌1954年(昭和29年)、リーダーの山口銀次が脱退しアロハに復帰したため、和田弘がリーダーとなり「和田弘とマヒナスターズ」(以下マヒナ)に改名する。
ハワイアンのサウンド、コーラスワークと作曲家の吉田正によるメロディを融合して、フランク永井や松尾和子らと並び、それまでにない都会的で斬新な歌謡曲(ムード歌謡)を生み出し、昭和30年代から40年代前半にかけてムード・コーラスグループの第一人者として数多くのヒット曲を世に送った。
マヒナは吉田の門下として、1957年(昭和32年)にムード歌謡コーラスグループとしてデビュー。
第一弾は「東京の人(三浦洸一のカバー)/哀愁の街に霧が降る(山田真二のカバー)」で、第二弾は「好きだった」(鶴田浩二のカバー)を吹き込む。
共に既存の吉田正作品のカバーであったが、ハワイアンギターとコーラスによる「マヒナサウンド ……