姿憲子すがたのりこ
1946年10月16日生まれ(78歳)東京都 出身
姿 憲子(すがた のりこ、本名:小出 憲子、1946年10月16日 - )は、日本の女性演歌歌手。
大妻女子大学中の高卒[要説明]。
所属:ミュージックオフィス合田、日本クラウン。
来歴=
東京都新宿区神楽坂出身。
実家は布団屋。
1965年(昭和40年)、テイチクより「浦島みつ子」の芸名でベトナム戦争をテーマにした「ベトナム哀歌」でデビュー。
第2弾「意地わる東京」と発売したがヒットせず、その後演歌からポップスまで自在にあやつる喉と長い髪をトレードマークにして、全国のキャバレー行脚。
のちの日吉ミミやちあきなおみらとともに、ドサ周り歌手をしていた。
1970年(昭和45年)、日本テレビのテレビ映画、竹脇無我主演の『姿三四郎』の主題歌歌手に抜擢され、芸名をそれにちなんで“姿憲子”と改名する。
当時23歳だったが、作曲家の安藤実親の勧めで20歳と年齢を公表していた。
スポンサー側は水前寺清子の主題歌を要望したと言うが、ディレクターの“演歌の竜”馬渕玄三が「彼女でやりたい」と周囲を説得し、レコーディングさせた。
その野太い声と圧倒的な歌唱力、ポニーテールに書生のはかま姿という“三四郎”をイメージさせたいでたち(馬渕が全て考えた)で、主題歌は週間レコード売上のベスト10に顔を出し、最終的に100万枚突破のミリオンセラーを記録し、その名は瞬く間に日本全国に轟いていった。
仙台での売れ行きが特に好調で、『姿三四郎』の裏番組の『 ……