演歌歌手名鑑

梶芽衣子かじめいこ

1947年3月24日生まれ(78歳)東京都 出身

梶 芽衣子(かじ めいこ、1947年3月24日[1] - )は、日本の女優・歌手。
本名および旧芸名、太田 雅子(おおた まさこ)。
東京都千代田区神田出身[2][3]。
来歴= 幼い頃はシャイで人見知り。
両親の勧めで中高時代はバスケットボール部に所属し、友人を作る楽しさ、グループの一員となる喜びを味わったという[4]。
八雲高校在学中に銀座でモデルにスカウトされる[4]。
その後、高橋圭三の事務所「圭三プロダクション」に所属し[5]、高橋司会の『おのろけ夫婦合戦』(日本テレビ)でアシスタントを務めたことが切っ掛けで[5]1965年、高校卒業と同時に日活に入社[2][1][6]。
同年に映画『悲しき別れの歌』で本名の太田雅子でデビューし[3]、石原裕次郎・小林旭・松原智恵子・吉永小百合らが主演する映画で助演していた[1]。
同期で活躍したのは渡哲也[7]。
子役からのアイドルスターであった太田博之とコンビを組み、W太田として青春スターとして売り出され、1965年の映画『青春前期 青い果実』で主演を果たす。
この頃は慣れないアフレコに四苦八苦しており、そんな梶をある大物女優があざ笑い、怒った梶はその女優に「笑わないでください。
あなたたちは初めからこれができたんですか!」と啖呵を切った[4]。
その噂は撮影所に瞬く間に広がって武勇伝となり、生意気というレッテルが貼られ、会社の重役からは絞られたものの、その事が切っ掛けでアフレコを一生懸命に練習し、上達した[8]。< ……

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