演歌歌手名鑑

尾藤イサオびとういさお

1943年11月22日生まれ(80歳)東京都 出身

尾藤イサオ - ウィキペディアより引用

尾藤 イサオ(びとう イサオ、1943年〈昭和18年〉11月22日 - )は、俳優・歌手・ジャグラー・声優。
本名:尾藤 功男(びとう いさお)。
東京都、現在の台東区出身。
身長168cm、体重55kg、血液型A型。
父は百面相や形態模写を得意とした落語家で寄席芸人の3代目松柳亭鶴枝。
母も芸人であった。
長女は歌手の尾藤桃子。
来歴= 1953年に、曲芸師・鏡味小鉄の内弟子となり鏡味鉄太郎を名乗って、幼少時代は太神楽の曲芸師として活躍。
小鉄と兄弟子・小次郎存命時には、3人で共演することもあった。
高校時代はロカビリーなどの音楽に興味を持つ。
1960年プロダクションの門をたたき、バンド「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」をバックに練習に励む。
1961年から翌1962年5月まで、アメリカのハリウッドに渡り勉強する。
帰国後の9月、フランツ・フリーデルをリーダーとするバンド「ファイア・ボール」の一員になり、東京都内のジャズ喫茶に出演するようになる。
当時のレパートリーは「ジェニ・ジェニ」「ルシア」「火の玉ロック」「ハウンド・ドッグ」等のロックナンバーであった。
ジャズ喫茶での歌唱に目を留めたテレビのプロデューサーにより「パント・ポップショー」(TBSテレビ)や「森永スパーク・ショー」(フジテレビ)にレギュラー出演する。
1963年の「新春日劇ウエスタンカーニバル」初出演。
以降「日劇ウエスタンカーニバル」に連続出演する。
2月、銀座の ……

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